視覚障害教師の会が独自に行なった2回の交流が認められ、日韓国交正常化50周年記念事業として、韓国から若い視覚障害教師と大学生を招くことができた。通訳と同行者を合わせて40名は、昨年末に8日間の日程で日本に滞在した。その一部を紹介する。
12月24日クリスマスイブの夜、役員7名は一行を羽田で出迎えた。通訳で交流の橋渡し役をしてくれているオ・テミン氏と韓国視覚障害教師会のキム・ホンヨップ会長が沢山の若者を連れてきた。翌25日は朝早くバスで宇都宮の中央小学校を訪れた。渡邊敏夫校長から東日本大震災当時の被害や卒業式の様子を聴き、全盲教師南沢創氏の音楽の事業を見学した。体育館では小学児童全員の歌や歓迎の言葉があり可愛い声に感動した。音楽を教える南沢先生の生き生きとした様子に、彼を支える先生方や児童たちの温かさを感じて幸せな気持ちになった。学校は小さな共生社会、全盲教師から大切なことを学ぶに違いない。日光江戸村では、個別に置かれた鍋を不思議に思ったり、恥ずかしそうに駕籠に乗ったり、遠山金さんの劇を見た。鍋の良さはみんなで大鍋を囲むことでは?。26日は本所防災館を見学。地震がほとんどない韓国の彼らに、震度7の揺れを体験してもらった。津波の被災体験を少しでも実感を持って理解してほしかったからだ。27日は早稲田大学を体操部員17名の案内で見学した。始めは警戒していた彼らも、若者同志、記念撮影などをするうちにすぐに打ち解けた。その後、戸山サンライズで第3回の交流大会に臨んだ。全体会では日韓から2名ずつ実践発表をし堂々とした語りで聴衆を魅了した。分科会では五つのテーマに分かれて討議し笑いあり深刻な話ありで通訳はてんてこ舞いだった。夕食交流会では日韓の代表が歌を披露したり、交互に両国の言葉で歌って盛り上がった。28日は新幹線とバスで岩手県宮古市を訪れ、三陸鉄道や復興した工場、津波で破壊された防潮堤を見学した。冷たい強風にさらされながら崩れた防潮堤に触れたり体験者の話を聴いた。津波後の生活にも思いをはせ、大変な状況にショックを隠せない様子だった。29日は宮古市総合福祉センター健やかホールにぢ元のみなさんを招いて視覚障碍者の被災体験発表や韓国青年による音楽の集いを開催した。山田町の小野一茂氏が津波に流された時の緊迫した様子を語り、障害者が孤立する事態は困るが、孤立した時でもどう活路を開くか心の準備をしておかなければいけないと話した。福島市の渡辺寛子氏が原発事故が家族や地域社会の絆を破壊していく様子を語り、原発再稼働など二度と同じ町替えをしないでほしいと話した。次に音楽の集いでは司会の代わりにメントというメッセージを次々と繋いで進行し、沢山の歌を熱唱した。驚いたのはメッセージも歌もすべて日本語だったことだ。昨日の見学で抱いた地元の人への思いを胸に精一杯歌う姿に、宮古のみなさんから温かい拍手をいただいた。ごごは盛岡市にある世界に誇る視覚障害者のための手で見る博物館を見学し、展示物を触察体験した。触れて初めてわかった。韓国にもこんな博物館があったら…という声があちこちであがった。30日の午前中は、岩手マッサージセンターを訪れ、全員が韓国理療のルーツである日本のマッサージを体験した。大勢の来客の訪問ということで大歓迎を受け、韓国の若者にとっても心温まるひとときとなった。
31日大みそかの夕方、別れを惜しみつつ第九演奏に送られて帰国の途についた。
まるで韓国にいるかのような韓国語洪水の8日間だった。交流の感動は消えることはないだろう。どちらの国にも障害ゆえに孤立したり一人前に扱われなかったりする状況はあると思うが、日韓の若い視覚障害教師が助け合って共に未来を開いていってほしいと願っている。