「12月末に韓国から40名の視覚障害教師が岩手を訪問」 (「岩手視覚障害通信」掲載文)
全国視覚障害教師の会代表 重田雅敏

 一般の学校で視覚障害の先生が、英語や社会などの教科を教えていることをご存知の方は少ないと思います。生徒全員の席や声を覚えたり、教科書を暗記したり、板書するときに棒状のマグネットを使ったり、視覚障害を補う色々な努力や工夫をしながら、毎日元気に教壇に立っています。そんな私たちが所属する全国視覚障害教師の会は、今から34年前の国際障碍者年に結成されました。会員の多くは理療科以外の教科を担当する教師です。現在小中高と大学に約100名の会員がいます。創立から現在に至るまで、全国各地で孤立して困っている視覚障害教師の拠りどころとして、相談活動や研修活動を行なってきました。

 今から4年前の創立30周年を機に、海外の視覚障害教師の状況を知りたい。困っているなら応援したいとの思いで、韓国の教師との交流を始めました。2013年12月末には、17名が訪韓し、ソウルで初の日韓親善交流大会が実現、韓国側教師20名と念願の出会いを果たしました。韓国視覚障害教師の会は、2009年に結成された新しい団体で、2006年の障害者雇用義務制度の教師への適用開始によって急激に会員を増やしました。現在約120名の会員がいて、ほぼ全員が7年に満たない新規採用の若い先生方です。進んだインターネット社会を背景にして会員間の交流を図りながら、職場環境の改善を目指して活発に活動しています。

 2015年1月には、韓国の教師11名が来日し、日本の39名の教師と再会を果たしました。そこで感じたことは、国境の壁よりも障害の壁の方が大きいこと。国や言葉が違っても、同じ境遇や思いを共有して助け合うことができるということでした。孤立している障害者は、とても弱い存在ですが、一人でも仲間がいれば、勇気百倍、力もみなぎってきます。

日本各地に仲間がいる。さらに、海を越えた外国にも仲間がいる。日韓交流で倍増した仲間の力によって、大きな可能性を手にした私たちは、さらに次の飛躍を呼び寄せました。

 たまたま交流大会でお世話になった通訳の方の紹介で、日韓国交正常化50周年記念事業の一つである日韓文化交流基金に応募したところ、韓国から若い視覚障害教師の方々を日本に招待するという夢のようなプロジェクトが承認されました。私たちのこれまでの草の根の交流が、高く評価されたことに誇りを感じています。韓国から40名の方々を招待する以上、最高の研修旅行が実現するように、最善を尽くしたいと考えています。

 日本に来るならぜひ被災地を見学してほしい。東京だけでなく地方の視覚障碍者とも交流してほしい。そういう思いで岩手県を訪問する計画を立てました。早速、日盲連副会長で岩手県□障害者福祉協会会長の及川清隆さんにお会いし、旅行計画への助言や訪問先との連絡調整などについて、協力をお願いしました。及川さんは快く申し出を受け止め、協力を約束してくれました。

 8月5日から7日にかけて、事前調整をしてくれていた及川さんの案内で、東京からの下見係6名はレンタカーで宮古市・田老地区・盛岡を訪問することになりました。5日には宮古市で、市役所・三陸鉄道本社・観光案内所を訪問し、市役所ではお忙しい時間を割いて福祉課の部長さんや課長さんが応対してくれました。また、ありがたいことに、それから二日間、宮古市の視覚障がい者福祉協会会長の在原さんも同行してくれました。

 6日の午前中には、山田町の視覚障害者で語り部の小野さんに面会して講演を依頼。田老地区では、仮設工場と店舗で奮闘するかりんとうの老舗、田中菓子舗の社長さんで、消防団の分団長でもある田中さんのお話を聴きながら、無残に破壊された防潮堤を見学しました。その後、交流会や音楽会を開く福祉総合センター「すこやかホール」を訪問し、交流音楽会の時間や準備片付けの段取りを打ち合わせることができました。

 夕方には盛岡市に戻って視聴覚障害者情報センターを尋ね、施設長の佐々木さんに応対していただき、交流の持ち方について打ち合わせをしました。最終日の7日は、世界に誇る「手で見る博物館」を訪問して、創設者の櫻井さんや館長の川又さんのお話を聴き、見学内容やスペースの打ち合わせをしました。また広々とした盛岡神社の向かいにある蕎麦屋さんで「わんこそば」の様子を見学しました。

 なぜ私たちが被災地を見学するのか。それは現地の方々を励まそうというような考えではありません。私たちはいつも、立場の弱いものが厳しい現実の中でどう生きて暮らしていくのか。そのヒントを探し求めているからです。例えば視覚障害のある教師は、避難訓練の時は、生徒を誘導して安全に避難させることはできません。反対に、生徒の手を借りてようやく避難することができます。必要のない存在、足手まといになる存在と思われているようで、とても肩身の狭い思いをします。ぽつんと置き去りになって、一人ぼっちになることが不安で、言いたいことも言えずに我慢してしまうこともよくあります。例え景色は復興しているように見えても、被災された三陸の方々の心の痛みがいつまでもなくならないように、私たちの障害も一生私たちを苦しめ続けるでしょう。でも、私たちは生きることをあきらめてはいません。共に生きる社会を目指して毎日挑戦しています。どうしたら弱い立場の者が社会の中に溶け込んで仲良く楽しく暮らしていけるのか。その方策、その工夫、そのために努力しなければいけないことを、例え肩身が狭くても恥をかいても見つけていくことが使命だと考えています。チャレンジしてはへこたれてしまう繰り返しですが、共生社会の実現や障害者の社会参加の看板は下したくありません。目指すものが絶対にたどり着けない山の頂だとしても、一歩一歩前に進むしかないなと自分に言い聞かせています。津波がこれからも必ず来るように、障害のある子どもは必ず生まれてきますし、事故や病気で障害者になる人も後を絶たないでしょう。だから、少しでも歩きやすい道を後から続く人たちのために、いや、ほかでもない、いま生きている自分のために作っていくしかないとおもっています。障害者や弱い立場の者はどの社会にも存在しますし、その存在を消し去ることはできません。保身と言われても、エゴと言われても、邪魔だと言われても、障害者が生き延びるためには共に生きていく社会、助け合う社会を実現させていくしかないのです。それが障害者権利条約や来年の4月に施行される障害者差別解消法の原点だと考えています。被災地を訪れたら津波の教訓を教えてほしいと思います。具体的に何をしたらいいのか。どんな心構えを持ったらいいのか。一緒に話して考えることができたら幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。


社会福祉法人 岩手県視覚障害者福祉協会

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