全体報告 「思いは国境を越えて」 
全国視覚障害教師の会代表 重田雅敏

1 全国視覚障害教師の会の紹介
 目の見えない教師が教壇に立つ。どこまでできるのか。前例はあるのか。誰もが抱く、そんな疑問が渦巻く中、例え視覚に障害があっても教師になりたいと強く願う人がいます。また、人生の途中で視覚障害者となり、途方に暮れている教師もいます。
 全員の生徒の声を覚えたり、黒板に罫線代わりに棒状のマグネットを貼り付けたり、IT機器を駆使したり、それから対面朗読者と授業準備をしたり、補助の同僚と役割分担して授業をするなど、いろいろ工夫して頑張っています。そんな教師たちが韓国の同じ境遇の教師たちと交流したという話です。
 私たち全国視覚障害教師の会は、今から34年前の1981年に大阪で結成された視覚障害教師の団体です。現在、小中高と大学、視覚特別支援学校の普通科に、100人以上が所属しています。毎年、5月・8月・12月に全国から会員が集まり、泊りがけで教育実践の向上と教育環境の改善を目指して研修をしています。今回、韓国視覚障害教師の会と第2回の親善交流大会が実施されましたので、その経緯や意義、実施の様子や成果について紹介します。

2 日韓交流の目的
 仲間との出会いこそが、私たちに勇気と困難を乗り越えるヒントを与えてくれます。日韓で交流すれば、思いを共有する仲間を倍増させ、より多様な事例を蓄積することができます。そればかりか「外国にだってちゃんと前例がある。頑張って働いている視覚障害教師がいる。」という強いメッセージを社会に発信することができます。また、国の枠を超えて考えれば、絶対に改善が不可能と思われる法律や制度さえも、社会生活のための道具に過ぎないことを気づかせてくれるでしょう。私たちは、韓国の先生方の境遇や思いを聞き、日本の経験や活動をお伝えするという使命を強く感じて韓国に向かいました。

3 今回の第二回日韓交流大会の報告
 2015年1月17日に韓国から12名の方々をお迎えし、横浜あゆみ荘で第2回日韓親善交流大会が開催されました。参加者は72名で50名定員の研修室は、テーブルをすべて撤去して椅子だけにする盛況ぶりでした。日本側からは、関東周辺の先生方を中心に会員33名、体験参加3名、来賓5名、通訳7名、ボランティア10名、報道関係3名でした。
 式典では、世界盲人連合日本代表の指田忠司氏や韓国チョソン大学教授のキム・ヨンウイル氏をはじめ、日盲連副会長の鈴木孝幸氏と国際視覚障害者援護協会理事の新井愛一郎氏の挨拶がありました。また働く障害者弁護団代表の清水建夫弁護士とつくし法律事務所の大胡田誠弁護士、日本テレソフト代表取締役の金子秀明氏の紹介がありました。
 日韓代表挨拶では、私から「仲間との出会いこそJVTの活力の源であり、困難を乗り越えるヒントと力を与えてくれた。これは国境を越えても変わらない。同じ思いを共有するかけがえのない仲間とさらに絆を強めたい。」と歓迎のあいさつをすると、KBTUのキム会長も「第1回の交流を終え、両国の教師の会についてこれまで以上の関心を持つようになった。これからもお互いに理解し合い、助け合う発展的な関係になりたい。」と応えてくれました。
 式典後の記念講演では、嘉悦大学教授で日本初の全盲の理学博士である生井良一先生が「視覚障害教師としてこれまで心がけてきたこと」をテーマに講演しました。対面音読ボランティアの助けを受けながら周到に授業準備をしたこと、板書の仕方や盲導犬の和ませ効果についても話しました。また実例として多摩川の水質検査やエイズを取り上げた授業について詳しく語りました。学生と真剣に向き合う中で、30年間教員生活を送ることができたと振り返り「その意味では人間関係をしっかり見つめることができた。見えないことは決してマイナスではないと思っている」と両国の後輩たちを励ましました。

4 全体会の様子
 昼食後の全体会では、日本側から事務局長の馬場洋子先生が、大阪や福岡での研修会の様子や相談活動について、また地域交流会の開設や裁判の事例について紹介しました。韓国側から総務のキム・ホンヨン先生がネット上のKBTUカフェの開設や図書館との支援機器協約の締結について、また陳情活動や文化活動について紹介しました。
 その後、日本側から2つ、韓国側から2つの事例発表がありました。トップバッターは、宮城教育大学教授の長尾博先生で「日本における盲人教師の役割」をテーマに発表しました。盲人自身が私材を投げ出して創った盲学校も戦後公立化されると、いつしか晴眼者の教師の赴任先となり、盲人教師の存在を足手まといとする雰囲気が横行している。しかし共生社会に生徒を送り出すためには、厳しい状況の中でも、晴眼者の同僚たちと共同作業をする経験とノウハウを蓄積し、就職先からの問い合わせに、「このように一緒にやっています。」と胸を張って答えられるようにしていかなくてはならない。盲学校は盲人のための学校であり、そこで教える盲人教師は、何かをしてもらうのを待っている存在ではなく、自ら道を切り開く存在でなければならない。「ランプに照らされるのを待っている人ではなく、ランプを高く掲げて照らす人になれ!」と熱く語りかけました。盲学校に限らず、視覚障碍者全体に共通する状況であり、長尾先生の着眼点の鋭さに、私たちもしっかりしなくてはと背筋をただす思いでした。
 次は、葛飾盲学校の中学部で英語を教えている櫻井昌子先生が、「私の目指す授業作り」をテーマに発表しました。「私が英語の授業を進める上で目指していることは、生徒が主体的に活動できる笑いある楽しい授業、そして、『わかる』 『できる』 『世界が広がる』 『喜びを感じられる』授業です。」楽しくて意欲的に生徒が参加する授業にするために、自分自身が視覚障害であることを生かし、障害や生徒の実態をよく理解して、音楽・ゲームを取り入れた授業や、生徒とのやり取りにおけるルール作り、声のかけ方や反応への対応の仕方、また補助教員の力を借りて視覚的な教材を作る様子やレーズライターの使用など、目指す授業について、その思いを朗らかに語りました。韓国の先生方は前日に葛飾盲学校で授業を見学しているため関心も高く、見学した授業を作り上げるまでの意図や過程を熱心に聞いていました。
 次は韓国側のキム・チャンス先生が「視覚・知的障害併設の総合特別支援学校の現状と課題」をテーマに発表しました。「韓国には盲学校が都市部に12校しかなく、幼い頃から寄宿舎生活を余儀なくされる。盲児の数が減少しているため新設は難しく、知的特別支援校の新設に合わせて学級を併設している。その場合、家から近くなるという利点はあるが、視覚障害を指導できる教師の養成課程が整っていない。また大多数を占める知的障害部門が優先されてしまい、視覚障害児のための指導環境がないがしろにされることが多い。」と現状を紹介しました。日本によく似た状況もありますが、盲学校と知的特別支援校の創られた順番が逆のようです。また、今回来日した先生方のうち一人だけが普通校の英語教師で、他の9名は知的障害の特別支援校に配属されているか、知的障害を併せ持つ児童生徒を担当しています。日本でも盲学校には、そのような児童・生徒の状況は見られますが、知的障害の特別支援校には視覚障害教師はあまり見られません。韓国の先生方が、知的特別支援学校で、具体的にどのように働いているのか、詳しく知りたいと思いました。この辺にも、お互いの職場の状況を改善するヒントがあるのかもしれません。
 最後にキム・ウニョン先生が「特別支援教師としての3年間をふりかえって」をテーマに発表しました。奨学金をもらいながら毎日14時間猛勉強して教員採用試験に合格したときの喜び、片田舎の教育センターで苦労しながら文書処理や訪問指導をした話。小さな学校の特別支援学級での毎日など、まるで「二十四の瞳」のような内容でした。その一部を紹介します。「教師として自分の職業に対し一般教員から不適切な待遇を受け傷つきもし、つらい時には強く抱いていた使命感を失くしてしまうこともあります。しかし、私は自分の児童達のために今のように悩み続け、不適切な待遇や差別に一緒になって戦い、いつも力になって理解してあげることのできる多情多感な教師になりたいと思います。田舎で勤務すると、交通など生活が便利で文化生活を楽しめる都市が懐かしくなったりします。でも、田舎の学校だからできることも多くあります。秋には保護者が作ったリンゴを学校に持ってきてくださいます。学校で飼っている子犬は、夕方に運動しようと校庭を回るときの友達になってくれたし、村祭りのように村の長老たち皆と一緒にする運動会もとても楽しいです。多くの利便がある都市ではなく本当に支援が必要で人間対人間として情を通じあうことができる田舎の村で私の児童達といつまでも一緒にいたいと思います。」

5 分科会の様子と夕食懇親会の様子
 次に休憩をはさんで分科会がありました。3つの分科会には、それぞれ二人の通訳が付き、日本側と韓国側の発言を分担して通訳しました。
 第1分科会は、「盲人教師の役割と存在意義について」、第2分科会は「視覚障害教師ならではの授業や教材作りについて」、第3分科会は「視覚障害教師が遭遇するトラブルと解決方法について」一人一人から意見を聞き、自由な討論をしました。どの分科会も活発な発言があり、良い問題提起の場となりました。最後に全体で集合し、各分科会の内容の報告がありました。そして11時から始められた大会は、5時20分に終了しました。
 6時からは夕食懇親会があり、全員が英語で自己紹介したり、両国から一人ずつ素晴らしい歌唱力で歌を披露しました。日本側の出し物の「ソーラン節」では、場内が割れんばかりの大興奮で盲導犬まで飛び入り参加してしまいました。韓国側の出し物の「小さな世界」では、「世界は同じ、世界はただ一つ」の歌詞のところで、歌詞の意味と美しい歌声が胸の奥に響いて、感動で胸が熱くなりました。最後に日韓の言葉で「幸せなら手を叩こう」をみんなで歌って、動作も気持ちも一つになり楽しい懇親会は終了しました。
 夜の8時半から11時までは2階のふれあいホールで歓談し、お互いにまだ聞き足りないことを尋ねたり、感謝の言葉を順番に言ったりしました。こうして長かった1日は終わりました。

6 成果と課題
 一昨年12月に行われた第1回交流大会では、韓国側に若い教師が多いことと弱視が多いことに驚きました。にもかかわらず同じ悩み、同じ願いを持っていることを確かめることができました。数少ない仲間との出会いは、私たちにとって特別な感慨を与えます。国境を超えるとなればなおさらです。参加者の一人で韓国視覚障害教師の会を結成したコ・ジンギョム先生は、「一人一人が孤島にいるようだった。だから会を創ろうと思った。」と言っていました。また、副会長のキム・ウニョン先生も「羽田に着いて初めて日本の先生方にお会いして握手したとき、本当に日本にも仲間がいたんだと「涙が出そうになりました。」と、そっと打ち分けてくれました。今回の取り組みが、どれだけ韓国の先生方の期待に応えられたかは分かりませんが、出会えたこと、再会できたことを心から嬉しく思っています。日韓の視覚障害教師の会の発展と、日韓の仲間、一人一人の幸せを願わずにはいられません。羽田空港で別れ際にパク・チュンボン先生と何人かが、「I love you!」と大声で叫んでいました。少し恥ずかしい気もしましたが、単にありがとうと言う気持ちだけではなく、同じ思いを持っていることが私たちにも強く伝わってきました。もちろん男女の愛ではありませんが、お互いにこんな気持ちを持つことができたことを何よりもうれしく感じました。
 以前、記念講演をした生井先生と話したことがあります。もし教師のまとっている鎧を剥がしていったら何が残るのか。地位や肩書、教育技術、知識や経験などを取り去ってしまったら何が残るのか。それはやはり他者を思いやる気持ちではないでしょうか。わが子の将来を案ずる気持ち、子供たちの未来の幸せを願う気持ち。それが教育の出発点だとすれば、障害のある教師は、幾度となく肩身の狭い思い、心細い思い、さびしい思いを経験しています。「安心して学校に来て欲しい。健やかに成長して欲しい。」誰よりもそのことに敏感で、わが身のこととして経験してきたのですから、その意味では最も教師にふさわしい存在かもしれません。今回の取り組みを通して、長尾先生の言われたように「ランプを高く掲げて希望を与えられるような」、そんな人に、そんな先生になりたいと思いました。
 これからは、教師の会レベルの交流ではなく、日韓の会員がお互いの会の活動に自由に参加できるようにするなど個人レベルの交流になっていくと思います。せっかく結ばれた絆ですからお互いの思いを大切にしながら交流を続けていきたいと思います。今もあの日の余韻が残り「思いは国境を越えて」います。



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