貴重なプレゼント
ソンナム・ヘウン知的障害特別支援学校 音楽教師、韓国視覚障害教師会 韓日交流担当 イ・ナヨン 

 ポカポカとした春の陽ざしと生徒達の笑い声に囲まれて校庭を歩いていたある日、そよ風が運んでくれた甘い香りに自分でも知らないうちに大きな声を上げていました。「あっ、花だわ!」私の言葉で私達は弱視の生徒を先頭にそれぞれが違った色の服を着飾って華やかに咲き乱れているところに駆け寄りました。しっとりとした葉に手が触れると、波のように押し寄せてくる仕事による疲れがとれるようでした。
 美しい春の花のように私に新しい(希望の)力を与えてくれたことがもう一つあります。日本の先生方と一緒に過ごした時間、私の心の中が香しい花でいっぱいになったその時の話を少しだけ書いてみようと思います。
 1年前の今(2月)ごろ我々韓国視覚障害教師会は、全国視覚障害教師の会との第1回親善交流大会の余韻が冷めやらないまま第2回親善交流大会の準備にとりかかりました。会長のキム・ホンヨプ先生と私が中心になって他の先生方とずっと話し合いを続けました。韓国側と日本側の先生方の間に立ってお互いの意見を伝達し調整する役割を果たしながら、万が一にも私のミスで趣旨が間違って伝わり問題になりはしないかととても緊張しました。そして、4日間という短い期間内に施設見学、セミナー(研修会)、討論、文化体験まで盛り込んで計画を立てることは並大抵のことではありませんでした。しかし、私達の日本訪問が最も有意義な時間になるよう配慮し努力してくださった日本の先生方のおかげで、第2回親善交流大会も深い感動のうちに終えることができました。
 昨年8月7日と8日には、重田先生、南沢先生と理恵さん、大胡田先生、斉藤先生、ボランティアの加藤さんと一緒に横浜あゆみ荘で1泊し部屋と食事、風呂などの施設を下見しました。蒸し暑い天気にも拘らず私達が安心して過ごせるところかどうかを調べるために、1名や2名でなく何名もの先生方が直接1泊されるのを見てとても驚きました。重田先生は、私に対し食事の量や味をはじめ、部屋の広さは適当か、ひょっとしてトイレや布団から不快な臭いがしないか、入浴施設は使用するのに便利かなどあれこれ聞かれ細心の注意を払っておられました。 2日目の朝にはあゆみ荘の近くにある公園を散歩しました。木々が吹き出す新鮮な空気が気持ちよく、面白い形をした巨岩もありました。そして、蝉や蚊が多いのも韓国と同じでした。朝食後にはあゆみ荘から近いコンビニとショッピングセンターを調べ、最終日の観光先はどこがよいだろうかと悩みつつ、ラーメン博物館に行ってみることにしました。1950年代の日本の町並みを再現しておりそれぞれが個性を誇り合っているラーメン店が軒を連ねていました。ところどころに子供たちが喜びそうな面白い容器に入った駄菓子やおいしいアイスクリームを売る店もありました。私は、「すみれ」という店で昔風ラーメンを食べましたが、濃厚でコクのあるスープに味玉(日本のラーメンに入れる味噌味のするさっとゆがいた卵)と野菜、チャーシューなどの具がいろいろ入っておりとてもおいしかったです。文化体験とおいしい食事という二兎を捕まえることができる点で私はここがズバリ気に入りました。他の韓国の先生方も喜んでくれるだろうと思いました。
 真夏の太陽よりも私達に向けた日本人の先生方の心がずっと熱かったからでしょうか?1泊2日のあゆみ荘下見は、その方達のきめ細かい配慮の始まりに過ぎませんでした。私達が東京で泊まるのに適当なホテルと夕食の場所を探すために、そして忙しい日程の中でも最大限多くのものを見せるために物心両面で最善を尽くされる日本の先生方を眺めながら感謝の気持ちや申し訳ない気持ちを何度も感じました。本当に私達の訪問もまた日本人の先生方に有意義な時間になったらいいと思いました。
 昨年の12月ごろになって詳細日程と予算が決まりました。充実したセミナー(研修会)と分科会、興味を引く見学と文化体験、安全で楽な移動まで考慮した日程表と効率的な予算案に私達はとても驚きましたし、日本の先生方の細心さと几帳面さに感嘆しました。
 冬休みを目前にして私達は、土曜日夕方のパーティで歌う歌の練習に入りました。曲は「小さな世界」に決め、この歌を覚えるためにピアノ伴奏を録音し先生方に送りました。そして、とても恥ずかしかったのですが、日本語の歌詞で歌う歌とその意訳を私の声で録音して送りました。録音された私の声が気に入らず何度も何度もやり直しては録音を繰り返しました。最後に皆で一緒に歌う歌を決める時にも、どんな歌がいいのか漠然としてしましたが、軽快で簡単な日本の童謡に触れ楽しかったです。そんな中馬場先生が提案された「私達皆いっしょに(注:日本語題名は「幸せなら手をたたこう」)」という歌が、もともと英語の童謡ですが韓国語でも日本語でも歌われているということを知りその歌に決めました。さらに面白いことは、韓国語の歌詞は「私達皆いっしょに手をたたこう、私達皆いっしょに手をたたこう、私達皆いっしょに楽しく歌おう、私達皆いっしょに手をたたこう」で、「私達皆いっしょに」という言葉が続けて繰り返され、日本語の歌詞は「幸せなら手をたたこう、幸せなら手をたたこう、幸せなら態度で示そうよ、さあ、皆で手をたたこう」で「幸せ」という言葉が何度も出てくるということです。
 私は、1月2日の朝飛行機で東京へ出発しました。学校で大がかりな工事があり冬休みが6週間に伸びたこともあり、日本に少しでも長く滞在し日本語を学びつつ日本についてより深く勉強しようと思ったからです。羽田空港に降りるとわずか2、3時間前の飛行機に乗る前に当たった身を切るような風とはちがい冷たいけれど温和な風が吹いてきて丸まった体がしゃきっと伸びる気持ちがしました。
 ありがたいことに私は、1月4日に開かれた全国視覚障害教師の会の新年会に同席することができました。東京とその近郊にお住いの先生方とボランティアが集まり約3時間半にわたって親善交流大会の日程について最終の打ち合わせを行いました。翌週末には「小さな世界」と「私達皆いっしょに」のための伴奏(録音テープ)を作りました。どんな形にするか迷い、録音する過程で何度も(音程を)間違えたり(テンポが)速くなったりして時間がかかりましたが、とても面白い経験でした。
 1月15日、ついに韓国の先生方が日本に来る日になりました。東京の空からは朝から雨が降っていました。一人で重田先生と約束した浜松町という駅まで行くことを考えると何だか心がときめきました。昼食はどこで食べようか、今や東京でも電車で行けるところへなら一人でどこへでも行けるようになったことなどを考えると愉快になりました。日本語学校の授業を終えてから毎日乗り換えるJR山手線巣鴨駅のベーカリーカフェでチョコクロワッサンとゴマバナナスムージーを昼食で食べ、ひょっとして遅れたら大変とばかり急いでまた山手線に体を載せました。
 浜松町駅で降りると、すでに到着されていた重田先生がうれしそうに迎えてくださいました。私達はモノレールに乗って羽田空港に移動し、韓国の先生方を待ちました。
 いつ聞いても愛情あふれる山口先生の竹笛演奏は、羽田空港でも響きわたりました。私と韓国の先生方は日本の先生方の暖かい歓迎で真の日本に出会うための期待に膨らんだ一歩を踏み出しました。
 浜松町駅近くにある東京プリンスホテルに到着して旅装を解き、築地に向かいました。ここでちょっと私に考えてもいないことが起こりました。朝出かける前私は、旅券を持って行くべきか少し迷いました。旅券が必要になるかもしれないという考えよりは、4日間も帰ってこないので持っていく方がいいのではないかと考えたからです。しかし、あちこちを回るから置いて行く方が安全だろうと考え、鍵のかかるカバンの中に入れておきました。日本で2週間滞在しこれからもさらに何週間か滞在する予定だったので、旅券が必要になるということはもちろん私自身が外国人ということすらすっと忘れていたようです。でも、東京の有名ホテルで私は外国人であって、チェックインのためには旅券が必要だったのです。知っている限りの東京の地下鉄を総動員して三田線の本蓮沼駅まで最も早く行く方法、おいしい寿司をあきらめられるかについての考えで頭の中が目まぐるしく回り始めました。そうして、どうしても私が不審な人物でないということを証明しなければならないと思い、韓国福祉カード(日本の身体障害者手帳に相当)と日本語学校の学生証を出しました。幸い私は旅券を取りに戻らなくてもよくなり、無事に寿司を食べることができることになりました。私達が行った寿司レストランの名前は、「すしこう」でしたが、漢字で好きの「好」と書くところでした。ところが、別の漢字を使う「すしこう」が築地にもう一軒あるということを新年会の時に知り、計画どおりの「すしこう」に予約できているかどうか確認したことを思い出しました。日本語には同音異義語が多く、特に人名や地名を話す時にこのようなエピソードが結構あるのではないかと思いました。
 旅券のせいで食べられなかったら悔やんでも悔やみきれないところだったと思えるほど寿司がとてもおいしかったです。私の好きな鰆、雲丹、海老、烏賊の握り寿司と卵焼きなどが(味わう)喜びと(なくなってしまう)悲しみを同時に残して(私の口の中に)消えていきました。食事が終わる前から韓国の先生方の間で腹を満たすデザートの話が出ていましたが、普段は口にすることができない高級な寿司の味に皆感激していました。
 翌朝、ホテルのビュッフェレストランの奥にある小さな部屋には、私達一行のために朝食が準備されていました。朝食を早めに済ませ1カ所でも多く見るために重田先生がホテル側に頼んでおかれたのでした。寿司レストランでも感じたのですが、量よりも質を重視する日本らしい朝食も満足できるものでしたし、障害に配慮する日本のサービス水準が高いということを改めて確認することができました。
 ソウルの仁寺洞通り(注:骨董品店街)のような浅草を巡った後、葛飾盲学校を訪問しました。個人的に最も期待していた日程の一つでした。興味深い触覚教具を触ってみたり、体育館のトラックに沿って歩いたりして、本当にこの学校の生徒になったような気持ちになりとても幸せでした。特に記憶に残ったのは、社会科教室の地図帳と地球儀、世界的な建物とか乗り物の模型でした。私が通っていたソウル盲学校にも全く同じ地球儀が一つありました。もちろん日本から輸入したものでしょう。小学校の時この地球儀があまりにも欲しくなって、担任の先生にずっと自分の教室においてほしいと駄々をこねたことがあります。その地球儀が一つの教室にいくつもあり、大きさの違う地球儀があるのを見て、なんだか不思議でもあり、小学生の時に私がそうしたように、ゆっくりと触ってみながら大きな陸地を見つけて私が好きな国を探してみたくなりました。
 櫻井先生の授業を参観しながら何だかミュージカルのSound of Musicが頭に浮かびました。陽気で明るいマリアが子供たちと一緒に歌を歌い駆け回って遊びながら自然に教育ができているように、櫻井先生と生徒達も英語で遊んでいると感じました。私も今年学校を替わり中学生に英語を教えることになりましたが、私が受け持つ生徒たちも櫻井先生から学んでいる「みか」や「のりか」と同じように英語が楽しめるように指導しようと努めています。
 葛飾盲学校見学を終えてから日本点字図書館に向かうバスの中で弁当を食べました。その日私達が乗ったバスは生まれて初めて乗る特別なバスでした。前列部分は普通のバスのように座席が前を向いていましたが、後ろ側は電車のように両横を向いてまん中にはテーブルが置いてありまるで子供の遊び場にありそうなバス・レストランあるいはバス・カフェの中にいるような気分になりました。点字図書館見学後、1時間程度バスに乗って5時ごろついに親善交流大会の会場である「横浜あゆみ荘」に到着しました。私達が宿泊した2階は、部屋の名前が木の名前でつけられており、ガイドレール(手すり)に点字で部屋の名前が浮き彫りされていました。私の部屋はヒノキでしたが、韓国語では「ピョンベンナム(扁柏)」といいます。
 3日目のセミナー(研修会)では、これから私が教師としての人生を歩んでいくときの道標となる話を聞くことができました。生徒達と心を通わせ充実した授業にするため絶えず努力して来られた生井教授の講演は、真の教育者として持つべき価値観と心構えは何なのかを教えてくれました。視覚障害者でさえも想像を絶する大学での科学分野指導を通じ、単純に知識を教える次元を超え学生たちの心を動かす授業をされる教授を心から尊敬する気持ちになりました。私も立派な授業をするために、生徒たちとの心の交流をすべく努力する自分の生き方そのものが教育になる日を迎えられるよう最善を尽くしたいと思います。
 長尾先生のお話を聞いた時には、少しでも難しいことがあるとそれに直面するよりは回避し傍観的な態度を取る私の弱い姿勢について反省させられました。ともすると親切に聞こえる「私がするので先生は休んでいてください」という目が見える先生方の言葉が、私達の役割を一つ二つと奪い取っていく行為だという話が心に突き刺さりました。目が見えない私も一人のやましくない同僚として一緒に働くために、生徒たちに恥ずかしくない先生になるべく変えていかなければならないことが多いことを悟り、これ以上躊躇してはいけないと固く誓いました。
 グループ討論の時間には、第2分科会において「視覚障害教師独自の授業作り」をとりあげ、授業で重要なことと授業方法について意見を交換しました。教師であれば誰でもが思っているより良い授業をしたいという欲望と、どうしたらより良い授業にすることができるかという悩みを持ち続け努力する先生方がおられ、その授業(に対する悩み)を共有することができるという事実が大きな力になりました。
 新学期が始まって1か月半ほどたった今、授業は私の思っているようにいかないことが多く、学校の至るところに私を孤立させ苦しめる要因が散らばっています。その理由の中で省けないことの一つが、私の視覚障害にあるでしょう。ある時は生徒たちの前でさえ微笑み続けることが難しいほどひどい時もありました。そんな時にはいつもセミナー(研修会)やグループ討論の時に(自分が)決心したこととお互いに話し合ったことを思い返し、再び立ち上がったこともあります。
 今回の親善交流大会で一番忘れられない時を挙げろと言われれば、やはり夕食懇談会の時皆が一つになって「私達皆いっしょに(注:日本語題名は「幸せなら手をたたこう」)」を歌った時間でしょう。当然やさしい道ではありませんが、生徒たちと一緒に送る人生の中で幸せを発見し、その幸せにより手をたたいて歌を歌うことができたらすばらしいと思います。韓国と日本の先生方の親善交流大会もそのために存在するのではないでしょうか?
 夕食懇談会で日本の先生方からもらったプレゼントの中にテトリス・パズルがありました。全部を崩したら組み入れることができないと思い部分的に1つ2つずつはずしてからはめていましたが、そのうちできるだろうという気がしてすべてのピースを混ぜて完成させようとしましたが、未だに合わせきれずにいます。明らかに分かっていると思うのですが、いくらやっても1つや2つのピースが残りその分開いている空間ができます。難しいですが最もユニークで気に入っているプレゼントでもあります。どの先生か知りませんが、もしもこの文を読まれたならテトリス・パズルが完成できるよう助けてください!!!
 最終日には、先生方と別れ難い気持ちを慰めるためにラーメン博物館に向かいました。週末だったのでお客が多すぎてラーメン店を選ぶのが大変でした。私達のチームが入った店は、「NARUMI-IPPUDO」という開業して間もないところでした。トマトと野菜が入っており、主人の言葉を借りていうならばフレンチ風スープのラーメンですが、すっきりした味でおいしかったです。日本は数えきれないほど多くの長所のある国ですが、その内の一つが食事だと思います。平凡に見える店に入ってどこにでもあるようなメニューを注文すれば、そこでなければほかでは味わえないようなおいしい料理が出てきます。そういう面で視覚障害者が旅行するのにとても素晴らしい国だと思います。もちろん食事だけでなく交通と人々の(障害者に対する)認識も同じくらい(素晴らしい)です。
 韓国の先生方が帰られた後、私は再び日本の日常にもどりました。それから4週間程度さらに滞在して日本の食事、文化、友人等との(新しい)出会いがありました。先の第1回親善交流大会以降私の人生に大きな変化が生まれました。まず、日本語という言語でさほど不便なく意思疎通ができるようになり、そのことで日本でも単独歩行ができるようになりました。単独歩行が可能になったということは、1人で友人に会いに行ったり欲しい物を買いに行ったりするなど東京でもソウルと全く同じ程度の自由を得たということを意味します。もう一つ重要なことは、日本語を話す人たちと対話が可能になったことで彼らの生き様や経験に関する話を聞くことができるようになったという点です。それによって視野が広まり私が知っていることよりもっと大きな世界があるということを知りました。
 今回の第2回親善交流大会は、私の教師としての情熱を回復してくれ、おかげで学校での私の気持ちがより一層豊かになったことを感じます。まだ至らない点だらけですが、少しででもいいからやってみようとする意地も生まれました。親善交流大会での楽しかった思い出から私の生き様の変化まで、このすべてのことは日本の先生方のお陰で手に入れた貴重なプレゼントだと考えます。このプレゼントをさらに輝かせることが私の役割ではないでしょうか?
 最後に、今回の親善交流大会のために尽力され一緒に協力してくださったすべての先生方と関係者の皆様に感謝の気持ちを伝えます。


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2015年8月更新